細川家六代藩主・重賢は、先代までボロボロだった藩財政を改革によって好転させた名君として、「肥後の鳳凰」と呼ばれ称えられています。金欠だった部屋住み生活時代のやりくり習慣が身に染みていることもあり、その財政管理はとりわけ厳しいものでした。藩内に倹約を浸透させるのはもちろんのこと、領民に対しては銭ゲバと言っていいほどの搾取を実行。櫨や楮などを強制的に安く買い叩いては商人に高く売ったり、定免法を実施して不作でも税を緩めなかったり。蓄財熱心な重賢でも、領民の恨みだけは大いに買ったようです。
※ 読み:重賢⇒しげかた|櫨⇒はぜ(※ロウソクの原料)|楮⇒こうぞ(※和紙の原料)