容赦のない斬撃で、幕末の四大人斬りの一人として恐れられた河上彦斎も一徹な熊本男児でした。青年期に藩主邸・花畑屋敷の茶坊主となり、着々と出世してゆく中で、天皇を立てて外国を排除しようという尊王攘夷思想に染まってゆきました。佐幕側だった熊本藩を離れて長州の志士となり、佐久間象山を斬殺し、禁門の変や第二次長州征伐など戦いに身を投じます。しかし時代が明治になって日本が西洋化に向かっても、攘夷思想を頑なに捨てませんでした。新政府に危険人物と見なされて捕まり、38歳で処刑されてしまいました。
※ 読み:彦斎⇒げんさい