大阪城天守のすぐ近くに厳めしい洋風建築があります。現在は商業スペース「ミライザ大阪城」として使われていますが、元々は陸軍第四司令部庁舎でした。明治から第二次大戦終戦まで、大阪城は全域が陸軍用地でした。昭和になって天皇即位の記念事業として天守復興が計画されるも、実現には陸軍の許可が必要で、その条件が陸軍新庁舎の建造でした。天守復興のための寄付金が150万円(当時)も集まりましたが、その振り分けは、天守に約47万円、公園整備に約23万円、陸軍新庁舎に何と約80万円! 陸軍さん、持っていきすぎです。