大政奉還後、徳川家の影響力の排除を目指す薩長勢力と、それに抗う旧幕府側の兵が激突したのが、かの有名な鳥羽・伏見の戦い(1868年)です。しかし徳川家の当主・慶喜にはまるで戦意がありませんでした。戦いの最中は大坂城にこもり続け、旧幕府軍が負けて敗残兵が大坂城に戻ってくると、わずかな側近を連れてこっそり江戸へ逃げ帰ってしまいました。取り残された旧幕府軍がやむなく薩長側と開城交渉しますが、その最中に本丸御殿から出火。多くの貴重な建造物を焼き尽くして、大坂夏の陣以来の無残な落城となってしまいました。