明治維新直後の大坂城本丸は、戊辰戦争時の火災のせいで、ほとんど空地になっていました。そこに1885年、和歌山城の二の丸御殿が移築されます。「紀州御殿」と呼ばれたその建造物は、当初は陸軍第四司令部庁舎として、1931年に新庁舎(現ミライザ大阪城)が完成してからは市の迎賓館として使われ、市民に親しまれてきました。第二次大戦時の大空襲にも耐えたのですが、1947年、進駐軍の不始末によって出火。すぐに大阪市消防隊が駆けつけますが、進駐軍が入城を拒否。そのまま焼失させてしまいました。