冬の陣やら夏の陣やら戊辰戦争やら、戦争で痛めつけられている印象の強い大坂城ですが、実は雷でも酷い目に遭っています。江戸時代の落雷は三回。1665年の二回目落雷では二代目天守が焼失していますし、1783年の三回目では大手多聞櫓が焼失しています。しかし最も悲惨だったのはやはり1660年の一回目でしょう。この時は直撃をくらった青屋口の焰硝蔵(火薬庫)が大爆発、城内外に甚大な被害をもたらしました。ある記録によると、青屋門の扉が14キロメートルも吹き飛ばされたのだとか。