幕府への届出からすれば、藤堂高虎が手がけて1601年に完成した宇和島城天守は、後の城主・伊達宗利によって1666年に修理が施された、ということになっています。地震やら落雷やらで相当痛んでいたようです。といっても高虎の天守は、自然の岩盤上に建てられた古式の望楼型で、立派な石垣の上に建っている現在の層塔型天守とは、外観も構造もまるで違います。つまり宗利は幕府を騙して天守を丸ごと建て替えさせたのです。それだけ外様大名による大規模な城郭改変は、幕府の厳しい目があって難しかったのです。