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お殿様が造らせた庭園

お殿様の憩いの場といえばやっぱりココ! 麗しの大名庭園を巡ってみよう。


どうも! 当サイト管理人の犬彦です。

お殿様ならばやっぱり自分の庭園は欲しいものです。ゆっくり散歩するも良し、茶屋で一服するも良し。ということで、本記事では小ネタで紹介している城郭の近くにある大名庭園をご紹介します。

玄宮園

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サイト管理人撮影

玄宮園は彦根城の北東に位置する池泉回遊式の大名庭園です。琵琶湖を模した広大な池に、様々な形の島や岩が浮ぶ様は、息を呑むほどの美しさです。池に突き出すように建ち、水面にその姿を映しているのが「臨池閣」で、彦根城と一緒に撮影するのが定番です。また築山に建つ「鳳翔台」では抹茶が楽しめるとのこと。玄宮園に隣接する楽々園は、江戸時代に榊御殿などと呼ばれた井伊家の下屋敷の範囲で、趣のある建造物が連なる様が華やかで、また枯山水庭園もあります。

彦根藩

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縮景園

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ハダシスト様撮影|写真AC

浅野広島藩初代藩主・浅野長晟の別邸庭園として、茶人としても有名な家老・上田宗箇によって作庭された池泉回遊式庭園で、七代藩主・重晟の時にほぼ現在の姿になりました。縮景園という名称は、二代藩主・光晟が儒学者の林羅山に求めた漢詩の序文に由来するとされています。園の中央にある中国風の「跨虹橋」には重晟のこだわりが詰まっており、初めのものが気に入らなくて作り直させたほど。1945年の原爆投下によって壊滅的な被害を受けた庭園ですが、30年にも及ぶ復旧整備によって、かつての姿を取り戻しました。

広島藩

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後楽園

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サイト管理人撮影

岡山城を借景とする大名庭園です。日本三名園のひとつで、岡山城は知らないが後楽園は知っているという人も少なくないでしょう。土木巧者で知られる津田永忠が藩主・池田綱政の命を受けて造営し、1700年に完成させました。13.3ヘクタールとかなり広大なのは確かですが、芝生が多く視界が開けていることもあり、なおさら広大に感じられます。一回りすればクタクタですが、各所に休憩処があるのも嬉しいところです。井田や茶畑があったり、タンチョウを飼育していたりと、なかなかユニークな庭園でもあります。

岡山藩

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天赦園

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すまりん様撮影|写真AC

伊達家七代藩主・宗紀の隠居所として1866年に完成した池泉回遊式庭園です。天赦園という名称は、初代藩主・秀宗の父である伊達政宗が詠んだ漢詩から取ったものです。園内には竹と藤が多く植えられており、それが他の庭園にはない独特の雰囲気を生み出しています。ちなみに竹は伊達家の家紋「竹に雀」、藤は伊達家の祖先である藤原家に由来しています。この庭園のシンボルとなっているのが池の上に掛けられた太鼓橋式の藤棚で、白玉藤が開花する4月上旬が見頃です。

宇和島藩

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御薬園

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ii_tomoaki様撮影|写真AC

会津若松城のほぼ東の方角にある池泉回遊式庭園です。心字の池を中心として、風情のある建築が各所に配され、北側・東側の山々を借景としており、その様はとても美しく見応えがあります。室町時代に蘆名盛久が別荘を建てたことに始まり、会津松平家の藩祖・保科正之によって庭園として整備されました。二代藩主・松平正経が、領民の病気の治療や予防のために、園内に薬草園を設け、三代藩主・正容が朝鮮人参を試植し、民間にも奨励したことから、領民に「御薬園」と呼ばれるようになりました。

会津藩

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水前寺成趣園

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これこれ様撮影|写真AC

細川家初代藩主・細川忠利が御茶屋を作事したのが始まりで、三代・綱利の大規模作庭によって完成した大名庭園です。阿蘇の清らかな伏流水を利用した池泉を中心とする回遊式庭園で、面積は7.3ヘクタールにもなります。「古今伝授の間」という茅葺屋根の風情のある建物がありますが、元々は京都御所内にあったもの。明治時代に桂宮家から細川家に下賜され、大正元年に現在地に移築されました。ちなみに庭園全体が出水神社の社地ということになっています。この神社は明治時代に創建され、細川家の歴代藩主を祀っています。

熊本藩

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中津万象園

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NhatBan様撮影|写真AC

1688年に京極家二代藩主・高豊によって築かれた大名庭園です。京極家ゆかりの近江をイメージした作庭となっており、琵琶湖を模した八景池に近江八景になぞらえた八つの島が浮かびます。池に架かる太鼓橋・邀月橋、高床式の煎茶室・観潮楼、傘を広げたような形の一本松・大傘松、朱色の鳥居が立ち並ぶ鳥居回廊など、フォトスポットが盛り沢山です。石に願い事を書いて投げ入れる石投げ地蔵尊には、江戸時代の庶民でも庭園を通って礼拝することができたのだとか。なお絵画館と陶器館からなる丸亀美術館が庭園内にあります。

丸亀藩

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兼六園

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写真元|石川県金沢城・兼六園管理事務所

金沢を訪れたなら絶対に外せない名所中の名所です。日本三名園に数えられているどころか、日本一有名な庭園と言っても過言ではないでしょう。金沢城とはお堀通りを挟んで南東に隣接し、面積は約11.4ヘクタール。五代藩主・前田綱紀の時に作庭が始まり、以降歴代の藩主によって長い年月をかけて形づくられていきました。中国・宋の時代の書物『洛陽名園記』に記されている六つの優れた景観、「宏大」「幽邃」「人力」「蒼固」「水泉」「眺望」を兼ね備えていることから、1822年に老中・松平定信によって兼六園と名づけられました。

加賀藩

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栗林公園

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KUZKAS様撮影|写真AC

高松松平家によって作庭・整備された「栗林荘」が、明治時代に「栗林公園」として一般開放されました。江戸時代の大名庭園の姿を残す南庭と、明治以降に近代的に整備された北庭に分かれ、西側の紫雲山を含めた面積は約75ヘクタールにもなります。日本三名園ではありませんが、それらに匹敵する名園として、国内だけでなく海外からも高い評価を受けています。名称に栗の字が入っていますが、園内で主役となっているのはやはり松! その内の約1000本が手入れ松で、その美しい姿をじっくりと堪能できます。

高松藩

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大名庭園に限らず、お城の近くにある庭園はどこも見どころ満載なのですが、あまり注目されないのが寂しいところです。お城観光の際には是非庭園にも立ち寄ってみてください。

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