丸岡城にはかなり具体的な人柱伝説が残っています。柴田勝豊によって築城が開始されたものの、当初は天守の石垣がうまく積み上がらず、人柱を立てることに。そこにお静という片目の貧しい女性が現れ、「息子二人の内、一人を侍に取り立ててもらえるなら」と人柱に志願しました。お静は中柱の下に生き埋めにされ、天守は無事完成しますが、勝豊が6年後に近江・長浜城に移ったことで、お静との約束はなかったことに。ひどい! いつしか、お静が人柱となった春に降る雨は「お静の涙雨」と呼ばれるようになりました。