明治6年(1873年)の廃城令によって丸岡城に下った処分は「廃城」。建造物がボコボコと解体され、天守だけがポツンと残る寂しい状態に。その天守も3両2分という破格の安値で民間に払い下げられましたが、有志の買い戻しで何とか解体は免れました。しかしその天守を今後どうするかが当然問題となるわけで。ならばいっそのこと寺にしちゃえば? ということで明治34年に丸岡町に寄付されるまで、長昌庵という寺として使われていました。住職が天守内で時報の太鼓を打っていたのだとか。