標高430メートルの山上に建つ天守。正直、この高さは人間にとってあまりに不便です。しかしこの不便さのおかげで天守が壊されずに残ることに。明治6年の廃城令で備中松山城に下された処分は「廃城」で、当時の価格でも激安の7円で商家に売り飛ばされました。ふもとの建物はあっさり解体され、その跡地は中学校になりましたが、天守など山上の建物は、人夫が山を登った上で解体し、ふもとまで廃材を降ろすとなると、費用が掛かりすぎて採算が取れない、ということで結局断念。そのまま長らく放置されることになりました。