ドケチ将軍でお馴染、徳川吉宗と同時代のお殿様として、尾張藩主・徳川宗春と並んで姫路藩主・榊原政岑(1713-1743)が有名です。元々分家の次男坊でしたが、分家・本家共に当主の死が相次いだことで、姫路藩十五万石が転がり込んできました。彼はその幸運と財力をフル活用して江戸の吉原で遊びまくり、挙句の果てに遊女のトップ、三浦屋の高尾太夫を大金で身請けし、姫路へ連れ帰ります。これには将軍吉宗も大激怒。結果、政岑は強制的に隠居謹慎となり、跡継ぎの政純と共に越後高田に飛ばされてしまいました。
※ 読み:政岑⇒まさみね|政純⇒まさずみ