明治の廃城令では一応存続となった彦根城でしたが、まともなメンテナンスもなく朽ちてゆくばかりで、その内800円(当時)で売却され、解体される流れに。しかし1878年、北陸行幸を終えたばかりの明治天皇の命によって一転、保存されることになりました。この経緯には二つの説があります。ひとつは行幸に同行した大隈重信が保存を奏上したという説。もうひとつは浄土真宗福田寺の住持(寺の長)の妻が奏上したという説。ちなみに福田寺の住持は井伊家の血筋の者で、その妻は明治天皇の従妹でした。