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以前に日本を代表する城として「お城四天王」を紹介しましたが、姫路城以外の3城の天守は鉄筋コンクリートで建て直されたものです。江戸時代からの天守が残る12城の内、国宝天守を持つ5城の方が、規模こそ先の3城に劣るものの、真に日本を代表する城と言えるのかもしれません。姫路城は「お城四天王」として既に紹介済みですので、他の4城を見ていきましょう。
徳川家の重臣として誉れ高い井伊家は、関ケ原の合戦の功により、かつての石田三成の所領と、彼の居城だった佐和山城を与えられます。その後、徳川家康の意向などにより佐和山城の廃城が決まると、程近い場所に井伊家の新たな居城が建設されることになりました。1604年に普請開始、20年もの年月をかけて完成したのが彦根城です。天守が国宝、天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓及び続櫓・二の丸佐和口多聞櫓・馬屋の五棟が国重要文化財に指定されています。
滋賀県彦根市金亀町1-1
古くは室町時代に坂西家の館があった場所に、小笠原氏の一族、島立氏が1504年に深志城を建造します。城主が幾度か変わった後、小笠原貞慶の時に松本城と名が改められました。徳川家康の関東移封に伴い、城主が石川数正に変わると、近代城郭へと整備されてゆき、子の石川康長の時に完成しました。現在は複雑な構成を持つ天守群がよく残っており、天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓の五棟が国宝に指定されています。天守は二基しか現存していない五重天守として大変貴重です。
長野県松本市丸の内4-1
木曽川沿いの丘陵地に立つ犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城したのがはじまりとされています。それから城主がめまぐるしく入れ替わりますが、1617年に成瀬正成が城主となると、成瀬家のお城として定着しました。残念ながら明治時代の廃藩置県以降に城内のほとんどの建造物が解体されてしまいましたが、天守は現存し国宝に指定されています。また現在、犬山城白帝文庫という公益財団法人が所有するという全国的にも珍しい形態を取っています。
愛知県犬山市犬山字北古券65ー2
宍道湖に程近い標高28メートルの亀田山に建造された松江城は、堀尾吉晴によって1611年に完成しました。山陰地方で唯一現存している天守は一見古風ですが、互入式通し柱という当時の先進構法が使わています。また狭間や石落としといった防御設備が数多く配され、さらに籠城のための井戸や貯蔵庫まであり、実戦的な建造物ということが窺えます。天守以外の建造物は明治時代に破却されていますが、幾つかの櫓や門などが復元されており、昔の姿を取り戻しつつあります。2015年、天守が国宝に指定されました。
島根県松江市殿町1-5