二の丸御殿の障壁画制作には多くの狩野派絵師が関わっています。当時の若き天才・探幽をはじめ、甚之丞、尚信などが自慢の腕を振るう中、山楽も少し加わっています。この人、狩野派の大巨匠・永徳の後継者と目されていたほどの人物ですが、いかんせん豊臣家とのつながりが強過ぎました。出自が武士だったこともあり、大坂の陣後に豊臣の残党かと幕府に疑われますが、九条家などの尽力により何とか助命されます。江戸に移って大活躍した探幽のような待遇は受けられませんでしたが、京狩野の祖として多くの名画を世に残しました。