京都御所の守護であり、また将軍上洛時の宿泊所でもあった二条城は、初めの内こそ徳川家康と豊臣秀頼が会談したり、徳川秀忠・家光親子が後水尾天皇の行幸時にもてなしたりと、重要な場面で活用されていました。しかし徳川家の本拠はやはり江戸城です。1634年に家光が入城してから、1863年に14代家茂が入城するまで、将軍の誰も来なくなり、放置に近い状態となります。その点は大坂城と同じです。しかし家茂入城からは、徳川慶喜が将軍拝命の宣旨を受けたり、大政奉還の舞台となったりと、重要度がぐっと上がりました。