1602年に完成した時の丸亀城は、あくまで讃岐の本城・高松城の支城という位置付けでした。1615年に一国一城令が発令されると、残されるのは当然高松城で、丸亀城は無残にも壊されます。しかし命運は尽きていませんでした。1640年、高松藩主の生駒家がお家騒動の責めを受けて改易。その影響から高松藩の西側が分離され、丸亀藩が新設されました。お城の修理でさえなかなか認めない幕府も、さすがに新藩にお城は必要だろう、と再築をあっさり許可。丸亀城はまさかの復活を果たしました。