「板垣死すとも自由は死せず」の名言で有名な明治の政治家・板垣退助ですが、戊辰戦争では新政府軍の指揮官として会津若松城の攻略戦(1868年)に参加しています。この時退助は、会津藩側で戦っているのは士族ばかりだということに気づきます。士族以外の領民は、重税や搾取によって藩に苦しめられてきたことへの恨みから、戦いに協力しようとしませんでした。平等でなければ国民は団結せず、強い国家にならない。会津戦での体験が、後の自由民権運動の契機となったと言われています。