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板垣退助といえば、自由民権運動を主導した明治の大政治家というイメージが強いですが、幕末には倒幕志士として活動し、戊辰戦争(1868―1869)では討幕軍の指揮官として目覚ましいの活躍を見せました。今回は戊辰戦争で退助が関わったお城での攻防をご紹介します。
後に板垣姓を名乗る土佐藩士・乾退助は鳥羽・伏見の戦いをきっかけに、精鋭の迅衝隊を率いて土佐から出撃。 途中で高松藩と松山藩を討伐せよという勅命を受けますが、松山は別隊に任せて、自身は高松を選択。 あっさり恭順した丸亀・多度津両藩の兵を加えて進軍します。
さて当初は幕府側だった高松藩ですが、「朝敵」とされたことで混乱し、激論の末、戦わずに恭順することを決めます。 藩主・松平頼聡は高松城を離れて浄願寺で謹慎。城内に「降参」と記された白旗を掲げ、家臣は皆土下座して、討幕軍を迎えました。