山内一豊の時に建てられた高知城天守は大火で焼失しており、1747年に再建された天守が現在まで残っています。といっても古式の望楼型天守で、一豊の時の天守と外観がほぼ変わらないとされています。当時は幕府の厳しい目があって、どこの城でも天守を失ってしまえば再建が困難でした。高知城では、大火の時に若い衆で天守を担いで安全な場所に移動させ、鎮火してから元に戻したので、再建ではない、という言い訳を仕込んでいたようです。それで幕府が騙されるとは思えないですが……。