土佐藩主・山内家にとって、旧領主・長宗我部氏の家臣や関係者は厄介な存在でした。藩祖・一豊の土佐入りの際に、彼らは浦戸一揆や滝川一揆を起こして抵抗しています。高知城の工事を視察する際に一豊は、彼らの襲撃を警戒して、自らと同じ装束の影武者を五人も連れていたほどです。彼らは基本的に一両具足と呼ばれる兵農一体の地侍で、兵農分離を進める幕府にとって不愉快な存在でした。一豊も、一豊以降の藩主も彼らに厳しい態度で臨み続けました。その影響からか、幕末になると彼らの子孫の多くが倒幕の志士となってゆきました。
※ 読み:長宗我部⇒ちょうそかべ