江戸時代初期の明石は池田輝政を藩祖とする姫路藩の領内でした。1616年、輝政の孫・光政が三代藩主となるものの、すぐに鳥取藩に移り、代わって本多忠政が新たな藩主となりました。これをきっかけにして姫路藩が分割されて多くの藩が新たに生まれ、明石藩はその中でも最大の10万石を与えられました。初代藩主の小笠原忠政(後に忠真)にとって、同じ名前を持つ本多忠政は正室の父親。なかなか気を遣う存在ですよね。明石城の築城を主導したのも本多忠政の方だったと伝わっています。
※ 読み:忠真⇒ただざね