幕末の三大兵学者という立派な肩書ですが、今でも語られるのは松前城を設計した市川一学(1778―1858)くらいなものです。松前城が箱館戦争で簡単に落城したことで、一学の兵学には厳しい評価がされがちですが、そもそも彼が築城したかったのは箱館近辺で、土地の狭い松前が築城に向いていないことくらいわかっていました。しかし松前への思い入れが強い藩士達に別地での築城を反対され、また財政難の藩に一から新城を築く余裕はなく、結局、松前の福山館を改修して城にするくらいのことしかできなかったのです。