江戸時代後期の松前藩家老・蠣崎波響は十三代藩主・松前道広の異母弟で、画家としても有名です。当時の松前藩は危機の連続で、その危機を乗り切るために、波響は自らの絵を大いに利用しました。1789年にクナシリ・メナシの戦いというアイヌの反乱が起こったことで、藩の統治能力を幕府に疑われた際には、アイヌの首長を描いた『夷酋列像』を持って上洛し、アイヌを従属させていることを猛アピール。また1807年に蝦夷の領地を幕府に取り上げられた際には、その復領のために自らの絵を売って、幕閣への賄賂資金を捻出したとか。
※ 読み:蠣崎波響⇒かきざきはきょう|夷酋列像⇒いしゅうれつぞう