外国船が日本近海をウロウロして脅威となっていた幕末に築城された松前城は、海防を意識した縄張りになっていました。海側の南面に配置された33門の大砲が最大の売りでした。しかしなぜか大砲の的になりやすい天守があったり、また南面以外の防備があまりに薄かったり、さらには海に近すぎることで艦砲攻撃の餌食になりやすかったりと、どこを取っても中途半端な城になってしまいました。実際、函館戦争(1868―1869)ではあっけなく落城しています。