天守を支える石垣は、天守という巨大建造物の重量がずっと掛かり続けているため、他の場所よりも損傷しやすいものです。弘前城では明治時代、天守が崩落しかねないほど石垣の損傷が進んだため、1897年から18年間、修復工事が行われました。その際に実施されたのが天守の曳家です。何と天守をそっくりそのまま他の場所にずらし、工事完了後に元に戻したのです。そして時が進んで平成の時代、石垣に崩落につながる膨らみが発見されて再び修復工事を行うことに。2015年、再び曳家によって天守が仮の天守台まで移動しました。
※ 読み:曳家⇒ひきや