瀬戸内海沿岸には、海運拠点の防御のために数多くの海城が築かれました。その代表的存在として知られているのが、「讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上」と謡われた高松城です。かつては北側が海に面しており、他の三方は海水を引き込んだ堀で囲っていました。現在でも堀の中を海魚が悠々と泳いでいますが、残念ながら北側は埋め立てられて海に面していません。かつては水手御門(国重要文化財)の前まで海水が迫っており、そこに直接舟を付けて乗り降りしていました。