息子の秀忠に将軍職を譲った徳川家康は、江戸から駿府に戻ると、駿府城を快適な隠居城とするべく天下普請で大改修させます。1607年に完成するものの、すぐに火災で大半の建造物を失うことに。それでも家康の隠居城への執着は衰えず、すぐさま再建を命令。1610年に再完成しました。江戸城を凌ぐ史上最大級の天守台に、六重七階の絢爛豪華な天守がそびえていたようです。しかし1635年、またもや火災で大半の建造物を焼失。この時、家康はすでにあの世の人。城郭自体は再建されたものの、天守は再建されませんでした。