松山城の築城を始めた加藤嘉明(1563―1631)といえば、「賤ケ岳の七本槍」の一人として、また石田三成の屋敷を襲撃した七将の一人として有名ですね。関ケ原の合戦には徳川側の東軍で参加し、武功をあげたことで自身の伊予領が10万石から20万石に倍増しました。そこで石高に見合った新しい城を意気揚々と築き始めたわけですが、こだわりを詰め込み過ぎたせいか、工事は長引く一方。その間に会津藩への転封が決まってしまい、城の完成を見届けることなく松山を離れることに。