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松江城築城前夜、堀尾家に襲い掛かる悲しき不幸を心痛めながら解説します


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どうも! サイト管理人の犬彦です。

堀尾家といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた勇将・吉晴が有名ですね。そして彼の息子・忠氏が関ケ原の合戦で活躍したことにより、出雲・隠岐24万石を得たのですが、それが堀尾家の悲劇の始まりだったとは……。

悲劇(壱)-病に苦しんだ姫君


往年のテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』の中に「二十原の椿」という悲しいおはなしがあります。

ヒロインのモデルは堀尾吉晴の娘、小那姫です。 彼女は16歳の頃から重い婦人病に苦しめられてきました。 堀尾家に出雲・隠岐24万石が与えられ、さらに松江城造営が決まってますます活気づく中、当時の居城だった月山富田城から程近い池に、ひとり身を投げてしまいました。 まだ20歳でした。

現在その池は残っていませんが、池の傍だった場所に小那姫を祀る廿原堤(はたちばらつつみ)神社があり、婦人病に効く神社として信仰を集めています。

悲劇(弐)-唐突なる当主の死


松江城の築城は当初、当主・堀江忠氏とその父・吉晴で進められていましたが、1604年に忠氏が唐突に死んでしまいます。

松江城造営地の選定調査をしていた忠氏は、7月某日、神魂神社を参拝した際、神官が止めるのを聞かずに禁足地の小成池にズカズカと入ってしまいました。 小成池から戻ってきた時、忠氏の顔面は真っ青に。当時の居城・月山富田城に何とか帰り着くも、そのまま意識不明となり、数日後に永眠。 まだ27歳でした。

なお小成池近辺はマムシの生息地にとしても知られ、マムシに咬まれた可能性が高いとされています。

悲劇(参)-陰謀失敗で姉家族崩壊


堀江家当主・忠氏の突然の死により、急遽6歳の嫡男・三之助が跡を継ぎ、祖父の吉晴が後見人として実権を握ることになりました。

しかし忠氏の姉・勝山とその夫は、自分たちの息子を当主にしようと画策。 吉晴夫妻が松江城築城に専念している隙に、三之助を月山富田城の奥に閉じ込めます。 そしてそのまま謀殺しようとしますが上手くいかず、もたもたしている内に乳母達の働きによって逃げられてしまいました。

全てが露見したことで、夫は追放され間もなく死亡。息子は京都に逃げるも間もなく死亡。勝山は失意の中で余生を過ごすことに。

悲劇(肆)-嗣子不在で遂に断絶


六歳で堀尾家の当主となると、叔母夫婦に殺されそうになり、幼くしてなかなかハードな経験をした三之助ですが、13歳で元服して忠晴となり、祖父吉晴の死ぬと親政を行います。 大坂の陣で活躍したりと、それなりには実績を上げたようです。 幕府に丹波亀山城天守の破却を命じられたものの、間違えて伊勢亀山城天守を解体してしまうという、笑えないエピソードも。

しかし跡取りを得ないまま、1633年に35歳で死去。 これで大名としての堀尾家は断絶してしまいました。

ちなみにその後、新たな松江藩主として京極忠高がやってきますが、彼も跡取りを得ないまま、たった3年で死去。 家督こそ甥の高和が継ぐことを許されますが、松江藩主は徳川家康の孫に当たる松平直政に変りました。

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こんなに不幸が続くと、もう呪われているとしか言い様がないです。どんなに用心していても、どんなに誠実に生きていても、不幸を完全に防ぐことって、できないですよね。後は神頼み、ですかね。

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