江戸時代には藩政の中心を担った各地の城ですが、明治時代になるとその役割を終え、無用の長物扱いされてしまいます。松本城も例外ではなく、明治五年に天守が競売にかけられ、235両で落札されました。落札者は取り壊す気マンマン。それを憂いた地元の名士、市川量造が天守存続のために動きます。落札者や行政当局に掛け合って、旧本丸の10年間貸与にこぎつけると、松本城を使って博覧会を開きます。これが大当たりで、量造はこの収益を基にして松本城の買戻しに見事成功、何とか取り壊しを防いだのでした。