福山藩祖・水野勝成はいろいろと規格外な武将で、若い頃に何と15年間も西日本を放浪していました。20歳の時、小牧・長久手の戦いに参加中、若気の至りで父・忠重の家臣をブッ殺してしまい、これに怒り狂った忠重によって勘当され、水野家を追い出されます。それからは放浪しながら、時々で有力武将に仕え、合戦に参加し、手柄を立てるものの、結局は出てゆくという、奔放なことを繰り返します。1598年、いとこの徳川家康が仲立ちしたおかげで、ようやく忠重と和解、勘当が解かれました。