「幕末の四賢候」として名高い伊達宇和島藩八代藩主の伊達宗城(1818―1892)は、大胆な人材活用でも知られています。器用という理由で、提灯張りなどをしていた細工師・嘉蔵に初の純国産蒸気船を建造させたり、脱獄犯だった高野長英をかくまって蘭書の翻訳などをさせたり。周防(現在の山口県)から村田蔵六なる村医者を蘭学者として招き、軍艦建造などを研究させましたが、この人、後に明治維新で大活躍する軍人、大村益次郎です。またシーボルトの娘を贔屓にして、失本イネから楠本伊篤に改名させています。
※ 読み:宗城⇒むねなり|長英⇒ちょうえい|蔵六⇒ぞうろく|伊篤⇒いとく